「人は学び続けること」に意味がある。マスターキートン

 

私の好きな漫画の中に「マスターキートン」がある。

 

ロイズの保険調査員(オプ、つまり探偵)である平賀=キートン・太一は、オックスフォード大学を卒業した考古学者であると同時に、元SASのサバイバル教官でもある。
フォークランド紛争や、在英イラン大使館人質事件では下士官の隊員として活躍したとされる。

父は日本人の動物学者、母はイギリスの名門の娘。大学時代に日本人女性と学生結婚し、一女をもうけたが離婚している。

別れた妻は数学者として大学教員を務めている。本人は、考古学の研究に専念したいと思っているが職もままならない。

発掘費用のために調査員を続けるが、過去の経歴からいろいろな依頼が舞い込み、数々の危険な目にも遭ってしまう。

冷戦終結前後の社会情勢、考古学、そして太一をめぐる人々のドラマを描いた作品である。

 

この中の話で、こんなエピソードがある。

 

パリのとある社会人学校に講師の職を得られた主人公・キートン太一。マイペースだが勉学意欲のあるオジさんオバさんに囲まれ久しぶりに「水の合う職場」だと思っていたら、予算不足により近いうちに閉校・校舎引き渡しが決定してしまう。校舎には著名な壁画が残されており、政府が買い取って養老院となる予定なのだ。

日本から逢いにきた高校生の娘、百合子に、その社会人学校の行く末と勉学についての話をするキートン。そのうちに、キートン自身が考古学に人生を捧げたいと思うに至った、大学時代の恩師の思い出が蘇る。

大学時代、学生結婚した妻の妊娠で卒論に身の入らなかったキートン。恩師である大学教授はそんな彼の悩みを見越して教官専用の書庫の鍵を渡す。

 

「昼間働かなければならないのなら、夜勉強したまえ」

 

普段読めない名著、古今東西の文献を夜な夜な読み漁るキートン。

 

「今思うと、あれが人生最良の時だった。人間はどんな環境におかれても、学ぶ喜びは得られるんだ」

 

そんな恩師のニックネームは「鉄の睾丸」。その昔、極めつけのエピソードを持っていた。
1941年頃、毎週一度オックスフォードからロンドンの社会人大学に招かれていた教授は、そこで運悪くドイツ空軍のロンドン大空襲に逢ってしまう。大学はほぼ全焼、駆けつけた先生達は、学生達と一緒に救助活動に専念する。
しかし「鉄の睾丸」はスゴかった。可能な限りの人を助けた後に、煤で真っ黒に汚れた顔のままテキストを出し、学生達にこう言った。

 

「さぁ諸君、授業をはじめよう。あと15分はある。

 

敵の狙いは、この攻撃で英国民の向上心をくじくことだ。ここで私達が勉強を放棄したら、それこそヒトラーの思うツボだ。
今こそ学び、新たな文明を築くべきです。」後にキートンも行き着いた「ドナウ=ヨーロッパ紀元説」を、追放を覚悟で発表した教授は、その後学校を去る。ユーリー・スコット教授、キートンの忘れられない恩師。
百合子「ユーリー?
キートン「君の名前は、先生からいただいたんだよ」

 

***

 

現代。パリの社会人学校。キートンが受け持つ最後の授業。

 

「最後に皆さんに聞いていただきたいことがあります。それは…たとえ学校がなくなっても、皆さんに学び続けて欲しいということです。実は私も、学問を追究するものとして、自信を失いかけていました…。しかしここで、皆さんと共に過ごすうちに、気がついたのです。たとえ学校の職を失っても、勉強を続けていきたい!学ぶ情熱がある限り…人間はなぜ、学ばなければならないのでしょう。」

 

この時、校舎引き取りの下見に、大臣が壁画を見に訪れる。授業の終了を待たずに教室にズカズカ入り込む大臣達をキートンは一喝し、そして生徒達に話し続ける。

 

「人間は一生、学び続けるべきです。人間には好奇心、知る喜びがある。肩書きや、出世して大臣になるために学ぶのではないのです…

 

では、なぜ

 

学び続けるのでしょう?

 

…それが人間の

 

使命だからです

 

▼ユーリスコット先生の言葉▼

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「人間はどんなところでも学ぶことができる。知りたいという心さえあれば・・・」

 

私たちの学習の根底はここにあるのではないのでしょうか?

そして、学ぶことの意味も・・・

「学ぶ」意志さえ持っていれば、いつでも学ぶことができるのです。

 

今回も余談になってしまいました。次回こそしっかり説明をしなくては・・・

(反省)では、また。