私と病気との闘いについて(双極性障害・そううつ病)

私の病気との闘いについて

 

 

病気の兆候・・・

子供の頃から金遣いが荒く、親の金を財布から盗んでは使いまくっていた。また、低学年の頃はよく教室から飛び出したことを覚えている。

今で言うADHDLDに近いような少年だった。

しかし、30年前の当時はそんな言葉さえなく唯の厄介者だった。

だから、余計母も攻撃的になり、自分に暴力を振るっていたんだろうと思う。

小学校時代は勉強もできず、友達もいなかったことしか記憶にない。

しかも、いじめの格好の的にされていた。そんな自分が病気なんて気にもしなかった。

ただ、楽しかったことは、学校にある森の中を休み時間に探検することだった。その時だけは自由になれた気がした。

 

中学生になると次第に症状は落ち着く。

しかし、LDの関係で勉強がさっぱり分からない。英語だけのちにできるようになるのだが、ほかの教科はほぼ0点に近かった。

いじめもまだ続いていたし、勉強もできない。そんな自分は部活動に打ち込むようになる。走ることだけが速かったので、陸上部へ迷わず入部した。県大会や全国大会で記録を持つような選手になる。が勉強だけは出来なかった。

結果、当時の担任に「行くところありません」と言われてしまう。しかし、英語だけ90点以上平均をとることに成功する。なんとか中堅の高校へ進学へ成功する。この後、この経験が自分の人生における岐路となる。

 

高校へ行くとアメリカへ2度訪問させてもらえる経験をもらえた。そのおかげで英語に興味を持ち勉強に励みTOEFL490点まであげることに成功する。が、留学するはずだった学校に10点足りなくて泣く泣く日本の大学へ進学する。それもLDの関係でほかの教科は出来なかったのかもしれない。

大学生活は順風満帆だった。強いて言えば、基礎教科がさっぱり理解できなかった。ADHDもLDももう見えなくなっていた。しかし、別の病気が影を出す。サークルの運営をしていていたのだが、そこでは我が物顔で運営していた。なんでもできるような自分でいた。仲間はたくさんいたが気づいたら、自分が自分自身一人になっっていた。つまり、人のことには一生懸命になれたが、自分の事は放置状態だった。しかも、ギャンブル依存症で800万ほど借金があった。しかも就職がなかった。が、進学の道が残されていたので大学院へ進学をする。

借金は親と祖父が返してくれた。感謝している。学習はレポートばかりだったので、LDはあまり関係なかった。教育系の大学院へ進み、英語の免許を取ったが、教員採用試験だけは受けられなかった。人から評価されることに異常に抵抗感を感じていたからである。

それから、臨時講師として10年程勤めたが、採用試験は3回しか受けられなかった。また、さらにやめた時の影響で(部活がらみでの保護者からのクレームによる退職・・・自分は悪くない)クリニックの先生から「適応障害」の診断が出た。はじめて聞く言葉だった。適応障害・・・まあしばらくすれば元に戻れると思ったが、体が動かない状態になった。朝、起きられないのだ。そうしているうちに学校には通えず、2週間後、退職届を出した。

 

 

病気との闘い

「適応障害」とは何か。。。あらゆるもので探してみた。うつ病?かなと思っていた。直接クリニックの先生に「適応障害」の病名について聞いてみた。すると「そううつ病、双極性障害ともいいます」とはじめて診断を受けた。治るんですかと聞くと、「う〜〜ん、難しいかもね」とあっさり言われてしまった。

それからが闘いだった。職業を探す時、3番窓口が定番となる。この窓口は、障害者枠専用の窓口となり他とは別なのだ。雇用保険の理由で障害名をつけたらこうなったらしい。就職先を見つけると、いつも決まって「クローズ(相手に障害を伝えないこと)」にしますか、それとも「オープン(障害を伝えること)」を必ず聞かれる。

いつもそこで悩む。クローズドの方が成功率はいいに決まっている。と思い受験し内定をもらうが精神的に合わなくて1ヶ月や1年で辞めてしまうことの繰り返し。やがて、家族全体にも手を出すようになる。台所から包丁を持ち出し「死んでやる」だの「離婚せー」だの騒ぎ立てる。その内、精神病院に緊急入院させられた。その間、家族間で揉めだし、自分のせいで家族全体が崩壊していく・・・(父母、義父、義母いろんな人に迷惑かけたね。ごめんね)2週間ほどで退院する。その後も仕事をしては辞めて、家族に当たりの繰り返し。

 

 

就労移行支援との出会い

障害関連の仕事をかじっていたせいか、「就労移行支援」の存在を知っていた。そこは、通常の就労へ向けた支援をするコースと経営するコースが選べるようになっていた。私は迷わず経営コースを選んだ。自分で経営しながら、病気をコントロールするしかないと思った。

そして、1年ほど経った日、その時はやってきた。障害年金を申請していたのである。しかも2級がついた。行政書士に手数料払っても150万程手もとに入ることになる。それを資本金としたのだ。しかも、やる仕事は、「相談支援専門員」。障害のある人や関係者の方なら聞いたことがあるだろう。障害者とサービスを繋ぐ人、また、困っている人の相談に乗る人の事である。障害を持つ自分なら、他の障害を持つ人の役に立てると思ったのである。

そんな思い出はじめた事業所は、8ヶ月を迎える。順調といくかどうか分からないが、頑張りたいと思う。

障害の症状は安定して入るが仕事をしすぎると、寝れなくなったり、金を使いまくったりしてしまう。ただ、家族だけは大事にしようと決めた。何か気に入らないいことがあれば、事務所で寝ることもある。でも、そういうのもいいんじゃないかと思うようになっています。

 

 

まとめ

激動の人生で、ようやく今、仕事をしながら落ち着いてきた。「双極性障害」とこれからも付き合っていかなくてはいけないだろうし、なんらかの波も覚悟はしている。でも、家族を傷つけたりすることは間違っている。よくニュースで精神障害者が犯罪を・・・・という言葉を聞き判断能力の問題でとかでなにか見えない差別を感じる。精神障害者は、「頭がおかしい」のではなく、心の病が重いんだということを理解してもらいたい。実際に私のようにコントロールできるようにもなるのだから。

今、精神病で苦しんでいる方々へ、今頑張ることはないです。ゆっくりしましょ。好きなことだけして。それは悪ではなく休憩です。心の休息です。だから、休みましょう。自分は、今日、12錠(睡眠薬含む)飲みながら書いていますが・・・・

もし、心が落ち着かない時はメールをコメントをください。その方にメールアドレスを教えます。カウンセリングをしましょね。

 

ADHD注意欠陥多動性障害(ADHD:Attention deficit hyperactivity disorder)とは、不注意(集中力のなさ)、多動性(落ち着きのなさ)、衝動性(順番待ちができないなど)の3つの特性を中心とした発達障害

 

LD=読み書き能力や計算力など算数機能に関する特異的な発達障害のひとつ

 

双極性障害双極性障害は、躁状態(躁病エピソード)または軽躁状態(軽躁病エピソード)とうつ状態(大うつ病エピソード)とを反復する精神疾患で、気分障害のひとつ

 

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