教育学修士が書く教育事情 Vol2

すごく久しぶりにブログを書きます.

現在の教育事情は非常に荒れていますね。

荒れ狂う海に、ゴムボート一艘で行くような。

こんな教育業界を目指している教育志望の人たちが非常にかわいそうです。

そもそも、問題があるのを文部科学省他が先送りしたためなんですよ。

私は、教育改革を推し進めるチャンスだと思っています。

しかし、今の頭の固い文部科学省では無理です。

日本という船は沈没するか、いい人材は海外へ流出してしまいます。

日本国内でいい人材を確保する方法。

簡単です。

教育の大学(院)制度をもっと上げればいいんですよ。

そして、進級、進学が簡単にできない制度をつくればいいのです。

賛否両論があるのは承知です。

でも、欧米各国はその制度を利用して自国の教育水準を保っています。

それができない日本。

みんな前ならえ。同じ教育、同じ水準にするからおかしくなる。

そもそも人は同じでありません。同人種ではあるものの個性が存在しています。そんな

個性がある人間を一元管理することに無理があるのです。

日本の教育はもう終わります。

制度も崩壊します。コロナウイルスのために教育時期のタイミングを逃した日本はもう

崩壊です。

予算も人材もいないこの日本に何ら価値はありません。

では、希望的観測はあるのでしょうか。

9割ないとして1割あります。

政権が若くなることです。今の安倍政権のおじいさん集団では対応できません。パソコ

ンに疎い人間が文部科学大臣をしているのですから。

政権が現在より、20歳若返ると日本は変わります。

現に大阪や北海道は変化しています。

若さが足りないのです。この政権、日本には。

おじいさん政権はNOを突きつけましょう!!

といっても若者は無視をする。それではかわりません。

18歳選挙権を得たにもかかわらず、何も変化がなく・・・

地方選は1000票を争えば当選。就職の倍率より簡単だ。

1割の変わる可能性がどこに存在するのか。

それは、みなさん一人ひとりにあります。

日本はまだ間に合うかもしれない。でも、沈没するかもしれない。

そんな、世界を行き来しています。

さて、教育問題から脱線してしまいました。

少し教員採用試験のことについて触れたいと思います。

教員採用に「自己PR」と「志願理由」が課せられているのはご存じでしょうか。多分、

普通の会社にもあるのだと思いますが・・・

教員の世界は違います。命を懸けてでも教育に捧げます的なことを書かないと通りませ

ん。当然、子どもたちを相手にしているわけですから、その人の理念や考え方も問いま

す。でも何よりも、子供たちを優先して考えられるかが問われるのです。つまり、子供

たちの命です。

教員は子供たちの模範となるのと同時に、命を預かる職業にもなります。だから、命を

懸けてでも教員になれますか的な要素が必要なのです。

「自己PR」では、自分が学生時代、(社会人時代)何を学びそしてそれをどう捉えてい

るのか。それをどう教育に生かしていくのかを問います。

つまり、あなたははどんな教育者になれるのですかということを問いています。=どん

な先生でありたいかです

「志願理由」では、本県でどのような教育を展開してくれるか。そして、活かしていく

のかを考えています。ついでにその件で教員になった時の教員像なんかも見ています。

つまり志願理由では、本県でどんな先生になるのかを見ているのです。

あと、全体を通して、先ほど述べた教育に対する情熱をどれだけ出せるかが大きなカギ

でしょう。

ただ、やってきたこと、できることを書いただけではだめです。

それを教育にどう生かしたいのかの視点が必要です。

 

少し長くなってしまったので今日はここまでにします。